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2004.08.16

終戦の日と靖國参拝

 毎年のことながら、終戦の日に靖國神社参拝の是非を問う声が喧しい。馬鹿げた話である。靖國神社は、祖国に尊い命を捧げて殉じた英霊を祭り、戦争の悲劇を銘記するところである。靖國とは「國を靖める」-国家の平和・平穏を祈念する、の意味で、軍国主義や対外膨張主義を推進する意味は皆無である。同じことは各地の護國神社にもいえる。祭祀である戦没者は、「天皇制のイデオローグ」であったために祭られたのでもなく、「軍国主義の狂信者」であったために祭られたのでもなく、「侵略主義の推進者」であったために祭られたのでもない。祖国に殉じて一命を捧げたことをもって祭られているのである。これは所謂、A級戦犯から対馬丸の乗船者まで、まったく同じだ。

 もう昨日になるが、小池百合子環境相は「私人、国民、日本人として参拝した」「恒久平和を願う気持ちでお参りした」と説明し、かつ、首相や閣僚の靖國参拝に中国などが懸念を示していることには「これは日本国内のことだ」と強調した、と報道されている。これは、当用憲法の要請を満たした、たぶん政治的には正しい答弁だろう。一方、石原都知事は天皇陛下の参拝についてこう語ったという。「天皇が靖國に(来年の)敗戦60年に参拝いただければ、天皇にしか果たせない国家に対する大きな責任を果たしていただくことになると思う。」これも奇妙な話だ。石原都知事の言が、ではなく、いまや天皇陛下の靖國神社への御親拝に政治的関門があることが、だ。

 先帝陛下(昭和天皇)は、日本の独立回復から昭和50年までに7回、靖國神社へ御親拝された。7回ともに皇后陛下を帯同されている。しかし、昭和50年の秋の例大祭への御親拝が最後となってしまった。それ以来、平成16年のいまに至るまで、両陛下の御親拝は行われていない。昭和50年といえば、当時の三木首相が総理大臣として始めて終戦の日に靖國神社に参拝した。それは良い事だったが、その際の「私人としての参拝」発言がいけなかった。爾後、天皇陛下の御親拝はなくなってしまった。そうであろう。先帝は「綸言汗のごとし」「王者に私なし」をわきまえておられた。御親拝およびそれに関する発言が政治的問題化する危険性を察知して、以後、自粛されたであろうことは間違いない。とりあえず、三木元首相の迂闊な発言が、その後の靖國参拝に対して重大な悪影響を与えたことは覚えておかねばならない。(本人は政治的な意味での慎重さを期したつもりなのだろうが、大政治家と呼ばれる者は、こういう微妙な問題については、お馬鹿なマスコミ相手には沈黙を通すか、韜晦で煙に巻く発言をするものだ。)

 もともと、日本の憲法学者は、占領中にGHQより発せられた神道指令に基き「一切の公式行事から神道色を追放すること」を「政教分離原則」であると言い募り、その結果、「天皇と神道の関係は、公的には日本国憲法で絶縁され、天皇が私的に神道を信仰されることは自由であるが、将来的に神道を放棄することもまた自由である」との説が憲法ギルドの間では有力なのだそうだ。それどころか、「天皇が伊勢神宮に参拝するのは宗教活動であり、公金を支出するのは憲法違反である」などと言い出す阿呆がいる始末。この阿呆どもは、自らを「進歩的」と称し、政治的には旧社会党・共産党などの「革新」的な政治勢力を支持してきた。

 しかし、憲法で「政教分離」を謳っている欧米諸国の例を見てみよう。米国では、大統領就任の宣誓が聖書に手を置いて行われる、キリスト教式である。ドイツでは、国防軍の兵営内においてカトリックやプロテスタントの教義に沿って、将兵が祈祷を行い説教を聞くことが保証されている。学校から宗教を排除することに熱心なフランスでも、戦没者やその他国家に貢献した人の公葬がカトリックの儀式で行われている。由緒正しい伝統行事として公認され、大多数の国民から期待されている儀式を「宗教的活動」として徹底的に排除する、ということはない。それが良識というもので、どこの国でも、国情に応じて宗教と政治の折り合いをつけているのである。

 さらに、王朝制度を維持している国の憲法を見てみよう。ノルウェー憲法には『国王は必ず福音ルーテル教を信奉し、その維持および防護に任ずべし。』とあり、スウェーデン憲法には『国王は、常に不易の「アウグスブルグ」信仰告白書および1593年の「ウプサラ」の宗教会議決議書において承認され、かつ、説明された純粋福音教の信仰者たることを要す。』とあり、デンマーク憲法には『国王は福音ルーテル教徒に属することを要する。』とある。日本と同じアジアの古くからの独立国であるタイ国憲法には『王の人格は神聖にして冒すべからざるものである。王は仏教を信仰せねばならぬ。しかして王は宗教の首長である。』とある。

 葦津珍彦氏が主張する通り、王朝制度が維持されている国では、王朝と特定宗教との関係が憲法典で定められているのが通則で、日本においても皇室と神道の関係が肯定的に公定されるべきである。皇室の儀式一般が宗教である神道に関連するから公金を支出するべからず、などという論は早急に払拭すべきだ。日本以外のどの国で、王朝に無宗教を強制しているというのだろうか。「天皇が伊勢神宮に参拝するのは宗教活動であり、公金を支出するのは憲法違反」などという愚論が出る余地のないように、当用憲法は改正すべきなのだ。これは日本国の国体に関わる問題であり、諸外国の干渉を受ける筋合いはまったくない。これは「日本国内のこと」なのである。

 余談だが、近代保守主義の祖、エドマンド・バークは『フランス革命についての諸省察』に「革新の精神は、一般に利己的な気質と限定された視野との結果である。祖先をかえりみない人々は、子孫に期待しないであろう」と書いている。これは卓見だと言わざるを得ない。ジェンダーフリーや家族解体を唱えて「少子化で何が悪い」と開き直る「革新」的な人々は、一方でまた、宗教、特に神道を敵視して「祖先をかえりみない人々」でもあるのだから。

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2004.08.06

北京の悲劇

サッカーファンなら知っているであろう「ミュンヘンの悲劇」。

1958年2月6日、マンチェスター・ユナイテットの選手達を乗せた飛行機がミュンヘン空港で墜落し、8選手が亡くなった。敵地ベオグラードで欧州チャンピオンズカップの準決勝進出を決めた帰路の途中の出来事だった。

2004年8月7日、「北京の悲劇」が起こりそうな気がする。不安だ。日本代表にはアジアカップで優勝してほしいが、そうなったら代表は無事に日本まで帰りつけるか? 日本人サポーターも大丈夫か? 人民解放軍は暴徒を鎮圧できるだろうか?

この不安は杞憂であってほしい。

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