« 2004年11月 | トップページ | 2005年1月 »

2004.12.29

当社の8本の宮水井戸は健全です

‥‥という回答が、灘の良心こと白鷹株式会社より届いた。例によって全文を引用する。

メール拝見致しました。

当社の8本の宮水井戸は健全です。現在仕込みの真最中ですが、全て宮水で仕込んでおります。また、瓶詰直前のアルコール度数の調整(割水)も宮水を使用しております。

確かに阪神大震災直後は宮水が濁ったり有機物が増加したりしましたが、数ヵ月後には本の宮水成分に戻りました。以後成分的にも大きな変化はありません。(他社の宮水井戸については判りかねます)

清酒「白鷹」につきましては、ラベルに記載されている通り宮水仕込を行っております。

もう、蝶谷氏は「オオカミ中年」認定でいいだろう(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.12.28

灘五郷では宮水を現在も使用しております

‥‥という回答が、灘五郷酒造組合の担当者から届いた。全文を引用する。

 灘五郷では宮水を現在も使用しております。

 阪神大震災の時は一時的に濁ったりしましたが、井戸替え(井戸の洗浄)を行なうことにより、回復いたしました。また、震災時には市民にも開放しておりました。

 都市化による影響については、西宮市長を会長とする「宮水保存調査会」の活動により、開発業者、施工業者、行政と話し合い、できるだけ地下水に影響を与えないような工法を採用するよう協力をお願いしております。

 例えば、阪神高速道路の施工に際しては、酒造地帯は橋脚の幅を他の所より長く取り、橋脚の数を減らすことにより、地下に与える影響を少なくしております。

 灘五郷では年2回各酒造会社が協力して水質調査を実施しており、地域的には涵養源である六甲山系の山裾のほうまで、民家の井戸も含めて調査しております。

 また、灘五郷の酒造地帯では周辺民家でも数多くの井戸が現在でも使われております。

          灘五郷酒造組合事務局  〇〇〇〇

 他にも何件か照会を掛けているので、続報が入り次第、ここで公開する。それにしても、やはり蝶谷氏の著書は「トンデモ本」認定でよさそうだ。ソースを書いてくれればまだしも、言いっぱなしだからなぁ‥‥

 本館サイト: http://www.dd.iij4u.or.jp/~kshimz/  E-Mail: kshimz@dd.iij4u.or.jp

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.12.25

宮水のほとんどが使用不能?

chouya 

 迷著「決定版・日本酒がわかる本」の著者、蝶谷初男氏の新刊「うまい日本酒に会いたい! そのために知っておきたい100問100答」(ポプラ社、ISBN: 4-591-08389-6、2004年12月発行)に、以下の文章があった。(太字による強調は小生による)

 しかし、高度経済成長の時代を迎え、灘の地もごたぶんにもれず宅地開発や高速道路の建設が進み、少しずつ宮水の水質も変化するようになってしまいました。そこに、追い打ちをかけるように阪神大震災(1995年)が発生し、宮水は壊滅的な打撃を受けたのです。

 現在、宮水のほとんどが使用不能となっており、使われていないのが現状です。しかし、前記したように灘の看板、またプライドの中に宮水はしっかりと根を生やしているため、口が裂けても宮水はダメになったとはいえず、対外的には今も使っていると表明しているのです

 おいっ ホントか? 本当だとしたら、私も認識を改めなければならない。とはいえ、著者が著者だけに(笑)、スンナリと信じる気にはなれないのである。

 一読して、相変らず蝶谷氏の算数能力は小学校卒業レベルに満たないし、自説の開陳部分に独り善がりの間違いや事実誤認が多いのが気になる。世紀の珍説「山卸は精米歩合を高める作業」は流石に撤回したようで書かれていなかったが、依然として「山卸はもと桶(酒母タンク)内で行われる」と書いてみたり(正しくは半切桶で行う)、キリンビールの商品「一番搾り」を「搾ったとき1番目に出てきたものだけを瓶詰めしたのだと思います」と書いてみたり(正しくは「一番搾り麦汁」を醗酵させて造ったビール、キリンビールのサイトにある商品説明を参照されたい)、「亀の尾」「強力」「神力」「祝」など酒米の復活品種を「もともと食料米で、酒造好適米に登録されたのはごく最近のこと」と書いてみたり(「亀の尾」「強力」「祝」は農産物検査法に基づく品種銘柄制度が発足した昭和27年に酒造好適米の指定を受けている。官報情報検索サービスで確認可能)、細部の信頼性は極めて低い。というわけで、この著者だけが公言している内容を信じていいものかどうか、正直いって眉唾ではないのか、と思っているのだが‥‥ はてさて。

 という訳で、宮水の現状について、正確な情報をお持ちの方がいらっしゃったら、ぜひ教えていただきたい。情報源を示唆していただくだけでもありがたいです。

 本館サイト: http://www.dd.iij4u.or.jp/~kshimz/  E-Mail: kshimz@dd.iij4u.or.jp

| | コメント (3) | トラックバック (19)

2004.12.11

一人でできる経済制裁

 タイトルは西村幸祐氏の「酔夢ing Voice」2004年12月8日付記事より拝借させていただいた。北朝鮮の不誠実さは今にはじまったことではないが、拉致被害者を巡る交渉については堪忍袋の緒が何回切れたことか。というわけで西村氏や勝谷誠彦氏の提唱する、個人でもすぐに始められる経済制裁を、広く訴えることにした。

 「北朝鮮に懲罰的な経済制裁を!」という声もあるが、日本国としての経済制裁は、輸出入の規制や送金・資産移動の制限などの高レベルなものになるほど、米中韓国との調整や、日系資本の保護(債務不履行への対処)などの制約も多くなる。また、密輸・闇送金・不正入出国・海賊行為の増加が見込まれ、それへの対処、すなわち法秩序・治安維持という課題が新たに発生する。そんなこんなで、政府は慎重に対処すべきだ、と私は考えているのだが、その一方で、日本人ひとりひとりが個人として、拉致被害者の同朋として、北朝鮮に対してなしうる抗議行動をとるのは当然だと思う。(参考 blog 記事:「日増しに強まる対北朝鮮強硬論」「北朝鮮への経済制裁は議論されていない」)

 「拉致被害者を救う会」はあさりの不買運動に言及し、西村氏は「STOP パチンコ」、勝谷氏は「北貨排斥」-過去、支那で行われた「日貨排斥」のモジリだろう-を唱えておられる。このへん、全部まとめてやってしまえ、という訳でバナーを作成し、拙サイトにも嵌めこんでみた。ブログの画面上では幅が100ピクセルの縮小画像(サムネイル)になっているが、サムネイルをクリックすれば本来のサイズの画像が表示されるはずだ。

(1) 北貨排斥(簡略版)
boycott1

(2) STOP! パチンコ(簡略版)
boycott2

(3) 北貨排斥(蛇足付)
boycott4

(4) STOP! パチンコ(蛇足付)
boycott3

 運動に賛同される方は、自由にダウンロードしてお使いください。メールやコメントも不要です。善は急げ(笑) ま、これが『わたしたちのできること』(by殿下さま沸騰の日々『てめーらなめんなよっ!』)の私版ですね。

[平成16年12月13日 追記]

 「いたずらにこんなものを作ってしまいました。」と、アニメーション GIF を作成してメールしてくれた読者がいる。感謝するとともに、ここに掲載します。こちらもサムネイルをクリックすると本来の画像サイズが表示されます。

boycott_ani01

| | コメント (2) | トラックバック (8)

2004.12.06

防衛論の進め方についての疑問

 「防衛論の進め方についての疑問」は、福田恆存が「中央公論」昭和54年10月号に寄稿した文章である。この文章は森嶋通夫ロンドン大学教授(経済学)が「文藝春秋」昭和54年7月号に「新『新軍備計画論』」と題して、軍備無用の無抵抗降伏論を開陳したことに端を発する防衛論争に投じられたものだが、いま現在にも通じる内容を持っている。というより、まさに目前の問題を明快に解きほぐしているのだ。原文は歴史的仮名遣い・正字体で書かれているが、現代仮名遣い・略字体で引用してみよう。(引用部の小題は小生が勝手に設定)

日本は文民統制以前の武官排除の徹底的な素人優先主義

 ところで、問題の日本はどうなっているか。先ず防衛庁は他国の国防省とは違い、総理府の外局であり、首相を議長とする国防会議の議員は非常勤で、外相、蔵相、防衛庁長官、経済企画庁長官の四人から成り、自衛隊の最高責任者たる専門家の統幕議長はこれに出席する権限なく、ただ首相の命により必要なときにはこれに出席する義務があるだけだという事になっている。更に防衛庁には内局というものが文民の目附役として存在し、専門家の自衛官は統幕議長以下一人も所属し得ない。内局の背広組というのは主として警察庁、大蔵省より出向の官吏で固められており、ここでも制服自衛官排除の態勢は崩れない。森嶋氏の希望通り、政府、与党も日本人は未だに文民統制に不向きな国民だと見做し、世界に類の無い武官排除の徹底的な素人優先主義を堅持している。

 ここで指摘された制度上の欠陥は、25年後の今でもほとんど変わっていない。上記の国防会議は、「安全保障会議設置法」が昭和61年5月27日に制定され、同年7月1日より施行されたことにより安全保障会議に衣替えされたが、その内容は以下の通り。

 ・首相を議長とする安全保障会議の議員は非常勤のまま
 ・議員は総務大臣、外務大臣、財務大臣、経済産業大臣、国土交通大臣、内閣官房長官、国家公安委員会委員長、防衛庁長官
 ・自衛隊の最高責任者たる専門家の統幕議長はこれに出席する権限なく、ただ首相の命により必要なときにはこれに出席させ意見を述べさせることができる

 実質的にはド素人の船頭が増えただけのことである。「船、山にのぼる」可能性が増えただけではないのか?(笑)

 福田氏の指摘は続く。

国会は防衛費審議権を放棄し、予算に関しては自衛隊は大蔵省管轄

 これも真に奇異な事だが、吾が国会は防衛費審議権を放棄しているのである。が、欧米流の文民統制を導入するとすれば、軍は装備、兵器、兵力、その他の増減、改良の意見に基づき、各省庁同様、一応の予算案を出し、それを大蔵省が検討して修正案を作り、その両案が議会に回され、審議、検討されなければならない。たとえ文民統制の最高機関が国会ではなく首相、大統領であっても、それは国会として為すべき当然の義務であろう。それを拒否したことによって、自衛隊はますます部外の民として路頭に迷う結果になった。そして予算に関する限り、自衛隊は大蔵省に直属し、その管轄下にある。

 そういえば、 超人気ブログ、殿下さま沸騰の日々『てめーらなめんなよっ!』の12月4日の記事「【二発目】元ミスの暴走。誰かこの人を止めてぇぇ。」 の終段に、こういう文章があった。

 さて、防衛予算に大なたを振るう財務省主計官・片山さつき氏について読者のCさんから情報(→http: //www.zakzak.co.jp/top/2004_12/t2004120323.html)。『災害派遣は警察と消防に任せればいいわ』『潜水艦なんて時代遅れなものは必要ないわ』。元ミス東大、暴走中である。Cさん曰く。『戦前は軍部が暴走したといっているが、どうしてこのような文官が暴走しても誰も止めないのか。私には分かりかねます』。同感である。誰かこの人を止めてぇぇ。

 先の福田氏の指摘(国会は防衛費審議権を放棄し、予算に関しては自衛隊は大蔵省管轄)が、ここに見られる「読者のCさんの疑問」に対する回答になっているのがわかる。25年前の昭和54年(1979年)にも問題視されている、自衛隊発足以来のシステム的な欠陥なのである。

 福田氏がこの文章を書いた昭和54年の前年には、いわゆる栗栖発言-自衛隊の部隊指揮官による「超法規行動」を憂慮する発言-があった。この事件に絡めて、文民統制以前の武官排除の徹底的な素人優先主義 の弊害、欠陥をこうも説く。

軍の国家的・社会的地位の歪みを匡そうとする人は少ない

 防衛について論じる専門家でも、兵力、装備、軍事費について論じる人は多いが、それ等とは次元を異にする最も本質的な問題である軍の国家的、社会的地位について、その歪みを匡そうとする人は少ない。再び言うが、それは凍結され、隔離され、監禁された状態のままなのである。この文民統制以前の現状を続けていたのでは、有事の場合、現地の自衛隊指揮官は独自の判断で独走せざるを得ぬ。それを防ぐために文民統制の態勢を確立してくれ、というのが去年の栗栖弘臣統幕議長のまことに健全、且つ謙遜なる要請であった。それが誤解され、詰腹を切らされたのは、今の自衛隊が初めから文民統制のもとにあるかの如く振舞った文民政府、国会の責任である。

 海外派兵(イラク派兵)が現実となった今日でも、26年前に提起された自衛隊の地位、あるいは制度的な問題はほとんど解決されていない。問題は先送りされつづけている。(栗栖発言の真意とその意義については、JFSS研究会 [国家緊急事態と日本の対応]ページ を参照されたい)

 その責任の所在は、福田氏によればこうなる。

政府、与党の事勿れ主義が問題を先送りさせる

 国会は主権在民を楯に自衛隊をその統制下におく能力と自信が無いのではない。ただ自衛隊そのものを爆発物同様危険物扱いし、それに触れたがらないだけの事である。(中略)床一面に油が流れている議事堂では、マッチ一本でも危険な爆発を促す。端的に言えば、油とは憲法であり自衛隊法である。それに火がついたら大事である。彼らは日陰者の私生児を入籍させることによって、夫婦喧嘩で夜も日も明けぬようになり、家庭の平和を紊す危険を何よりも惧れているのである。とすれば、外に子供を作った亭主の政府、与党の方が、女房の野党より頬被りの事勿れ主義でひたすら時間を稼ぎたくなるのは当然であろう。

 なんとも明快である。西村幸祐氏は「酔夢ing Voice」で「片山さつき主計官と細田官房長官は即刻辞任すべき。」と書いているが、ここは「片山さつき主計官を罷免すべき」であり、その主語は「首相」あるいは「安全保障会議」あるいは「国会」であろう。なぜ政治家が国政の最重要課題のひとつである国防、安全保障の根幹に関わる案件を、たかが財務省の主計官ごときに委ねて恥じないのか?

 責任の所在は政府、国会(与党)の事勿れ主義の時間稼ぎにある。そこを看過して、軍備や兵装の問題、あるいは主計官の問題、あるいは省庁間のリーク合戦の問題に矮小化して論じてはいけない。しかし、栗栖発言以来26年、自衛隊発足以来50年、栗栖発言の前史より後史のほうが長くなってしまったということに気づかされ、あらためて嘆息を禁じえない。わが国の政治家は、いったい何をしてきたのだろう? いや、何もしてこなかったのか?

 かくのごとく、「防衛論の進め方についての疑問」で論じられた課題は、25年の歳月を経ていまだ色あせていない。しかも、本記事で引用した部分は、プロローグ・第一幕・第二幕・幕間・第三幕・第四幕・エピローグといかにも劇作家らしい6部構成のうち、すべて第一幕『「文民統制」とは何を意味するのか』に収められており、現代に通じる課題は他の部分にも多数ある。第三幕「アメリカが助けに来てくれる保証はどこにもない」第四幕「このままでは最大の軍備をしても国は守れない」という章題からも窺い知ることができるだろう。名著は常に新しく、まさに温故知新なのだ。

※ 「防衛論の進め方についての疑問」は、福田恆存全集の第7巻に収録。

 本館サイト: http://www.dd.iij4u.or.jp/~kshimz/  E-Mail: kshimz@dd.iij4u.or.jp

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2004.12.03

振幅の大きい人

 ちょうど2年前(平成14年11月29日)に亡くなった家永三郎といえば長い間「教科書裁判」のスターであり、左巻きマスメディアの寵児でもあった。しかし、彼を「変節者」と指弾する声も多い。秦郁彦は『朝日新聞がもてはやした「家永判決」』および『「欠陥裁判」が炙り出した変節者像』(「現代史の争点」文春文庫に所収)で、日垣隆は『教科書裁判のスター・家永三郎様からの罵詈雑言』(『偽善系』第二章「さらば二十世紀の迷著たち」に所収)で、それぞれ第二次世界大戦の敗戦直後に家永が書いた明治天皇を賛美あるいは崇敬する論文を引用しつつ、天皇や皇室に対する家永の態度が「同一人とは思えぬほど激変」(秦)「急激な"旋回"」(日垣)したことを論証している。家永教科書裁判(第三次訴訟)に国側証人として出廷した秦は、法廷で「こういう振幅の多い方は、次代の青少年を教育する教科書執筆には適当ではない、と考えております。」と結んだという。(ここで、「振幅の多い」という言い回しは「振幅の大きい」のほうが適切だろう)

 さて、今日の主題は家永三郎ではない。またまたお酒の本で、「この酒が飲みたい-愛酒家のための酔い方読本」である。

konosake.jpg

 この本は日本酒だけでなく、ビールから始まって焼酎、ワイン、ウィスキーなどの「洋酒」一般、中国酒、味醂と酒屋の守備範囲をほぼ網羅した「酒選びの物差し」を指向した内容となっている。本書はすでに、「知りすぎた消費者」こと 鮭野夢造さん の「多事妄言」ページで、以下のように絶賛されている。

ともあれ、良書であることには間違いない。一読すれば、消費者が商品選択の際に絶対的とまではいえないものの、「かなり有力な知識の基準」となることうけあいである。多くの方に手にとって読んで戴きたい一冊である。

 この書評にはおおむね同意する。しかしながら、この本は文章の品格にいささか欠けるきらいがある。ややもすれば「真相はかうだ」式の暴露本、アジ・プロ本の臭いがする。(これはもちろん、私の個人的な感覚にもとづいている。)本書の著者である長澤一廣氏の酒屋稼業の遍歴が、巻末にある「闘う酒屋」で紹介されているので引用してみよう。

1970年頃、マス・プロ品を山積みして安売りを始めたのです。それは中部4県初の酒のディスカウンターでした。そして、「談合には加わらない」と地元酒販組合にも宣言。しかし、根強い談合の歴史に染められた地元業者と、さらに問屋と税務署が一体となって商品にロープを巻いて販売できないようにしたり、営業停止処分までかけられたこともありました。

 ところが、営業ができなくなると勉強する時間が生まれました。時代は第1次オイルショック。アルコールの大量販売をしている自分に「こんなことをしていていいのだろうか」と疑問に思っていたところでした。そして醸造学に詳しい元醸造試験場鑑定官との出会いがあり、さらにホンモノの酒の見方や考え方を学び、「このままではいけない」と気づきます。

 それを契機に営業方針を180度変え、品質にこだわることを決意。顧客にはこれまで自分がやってきた品質軽視の販売手法についての詫び状を添え、4回ほどダイレクトメールを送付し理解を求めたものの、残った顧客は1割だけ。売上も激減。

 見ての通り、振幅の大きい人である。かつて論壇や文壇で「転向論」が華やかだったころ、「転向者ほど対抗する陣営(=過去に属した陣営)を激烈に非難する傾向がある」と言われたことを想起させる。酒と同じく、文章もまた嗜好品なのであるが、暴露本、アジ・プロ本の臭いが私のテイストに合わないのである。秦の表現を借りれば「こういう振幅の多い方は、啓蒙書の執筆には適当ではない」という気がする。

 先ほど引用した「闘う酒屋」は、共著者の山中登志子氏が書いた部分である。山中氏は、元「週刊金曜日」の編集者でベストセラー本「買ってはいけない」の編集者でもあった。日垣隆のメルマガ(ガッキィファイター vol.62)で

今になって自分も(「買ってはいけない」の)執筆者だと言い募る彼女は、かつて幾つかの雑誌で私と誌上対決をすることになった際、執筆者である渡辺氏や船瀬氏は登場されましたが、「サンデー毎日」など媒体誌側の強い要望にもかかわらず山中登志子氏は「自分は執筆者ではなく編集者だから黒子に徹したい」と正式に表明しておられたわけです。印税問題になると編集者ではなく「執筆者」になるのね。

と皮肉られた人でもある。

 それはサテオキ、「この酒が飲みたい」の通奏低音たる、暴露本あるいはアジ・プロ本に類似した響きは、共著者であり、編集者でもあり、最終的に校正や文体の修正を行った山中氏にも起因しているのではないか。もう少し「体制的」で穏当な編集者に任せたほうが、かえって「多数派に対する異議申し立て」として信頼性の高い本に成り得ただろう、と思う。長澤氏のために少しばかり惜しい気がする。

 本館サイト: http://www.dd.iij4u.or.jp/~kshimz/  E-Mail: kshimz@dd.iij4u.or.jp

| | コメント (3) | トラックバック (0)

« 2004年11月 | トップページ | 2005年1月 »