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2007.10.24

菊源氏 三冠酒

 昨日(10/23)は、千駄木の「鰻の稲毛屋」さん主催の「稲毛屋版・究極の酒を味わう会」に参加してきました。

 お目当ては「國香」県知事賞酒と「菊源氏」三冠酒でした。三冠とは、(1) 静岡県新酒鑑評会 首席(県知事賞)、(2) 名古屋国税局鑑評会 首席(国税局長賞)、(3) 全国新酒鑑評会 金賞、の3賞を受賞したことを意味します。平成2年ですから、まだ、東洋醸造株式会社時代のことです。その後、東洋醸造(株)は旭化成に買収され旭化成(株)大仁酒類工場となり、旭化成が酒類製造事業から撤退したことに伴い、平成15年限りで廃業しました。現在の「菊源氏」は、灘の「富久娘」で製造されています。廃業前後のことは、拙サイトの「伊豆の酒、菊源氏を惜しむ」を参照ください。


・ズラっと並んだ静岡吟醸
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・東洋醸造(株)製の菊源氏
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・越乃寒梅の最高峰、精米歩合 30%の特醸酒
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 ※ 醸造アルコールではなく、自社製造の米焼酎を使用しています。

・出品酒

1. 菊源氏 大吟醸 H1BY 三冠酒
2.磯自慢 純米大吟醸 中取り35 H17BY
3.國香 純米大吟醸 斗瓶囲い H12BY 静岡県知事賞
4.英君 大吟醸 H18BY 全国金賞酒
5.志太泉 大吟醸 H18BY 全国金賞酒
6. 正雪 純米大吟醸 斗瓶取り H18BY
7.富士錦 大吟醸 選抜 H18BY 静岡県知事賞
8.越乃寒梅 特醸酒 H17BY
9.黒龍 石田屋 H17BY
10.黒龍 龍 大吟醸純米 H1BY
11.花薫光 袋雫斗瓶取り 原酒あらばしり H18BY
12.貴 純米大吟醸斗瓶取り H18BY
13.田酒 純米大吟醸 山田穂 H18BY
14.龍力 出品酒あらばしりおり酒 H18BY
15.飛露喜 大吟醸 H18BY 全国金賞
16.十四代 大吟醸 2005(H16BY or 17BY)
17.辧天娘 純米大吟醸おり酒 H17BY
18.而今 大吟醸 H18BY 全国金賞
19. 小夜衣 純米大吟醸 H17BY 静岡県第二位

・お料理

1.小鉢(エシャレットの酢味噌和え)
2.伊賀牛のさしみ
3.かぼちゃの煮物
4.小松菜の生姜合え
5.生ゆば
6.鰻の塩焼き
7.肝焼き
8.紅ふじ鶏の焼き鳥
9.鰻のひつまぶし

 菊源氏、よかったです。見た目はとても17年古酒とは思えない清澄度。上立香も、老香はあるといえばあるのですが無視できる程度で、全体のバランスは崩れていません。味も老ねを感じさせず、上品に枯れて甘辛シャンっのメリハリがあります。極上の大吟醸でした。いやー、凄いお酒でした。國香もさすがに6年寝ているだけあり、例によってすばらしい大吟醸に化けていました。しかし、昨日の主役はやはり、菊源氏でした。

 それにしても、出席者のリクエスト順に開栓していったのに、十四代が大ラス、磯自慢“中取り35”がラス前という飲み会って‥‥ 酒も凄いが、呑み手も凄い方ばかりでした。有名どころの酒は飲み慣れているのか、あるいは名前で飲む段階はとっくに卒業したのか、いずれにせよ、酒飲みはかくありたい(笑)

 本館サイト: http://www.dd.iij4u.or.jp/~kshimz/  E-Mail: kshimz@dd.iij4u.or.jp

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2007.10.17

曲学阿世の徒

 自民党は本当に壊れてしまったようだ。

 自民党有志でつくる「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」会長の中山成彬元文部科学相は17日午前、沖縄戦での集団自決に関して旧日本軍の強制の記述が教科書検定で削除された問題で「軍の命令、強制は当然あったと思う。沖縄戦について、国会議員も国民もあまりに知らなさ過ぎる」と述べ、記述回復を図る動きに理解を示した。党本部で開いた同会役員会後に記者団に述べた。

(引用元は共同通信:http://www.47news.jp/CN/200710/CN2007101701000314.html

 「軍の命令、強制は当然あった」と思うのは勝手だが、それを否定する調査結果、証言が次々と出ている現在では、肯定するための証拠、資料が必要だろう。そこを素っ飛ばして、次世代の教育に用いる教科書に記述するというのは、政治的ではあっても学術的ではない。まさしく、「学を曲げて世に阿る」行動だ。その輩が保守政党から出てくるところに現在の危機的状況を見ることができる。せめて「沖縄戦での集団自決に関して、軍の命令はなかったが、軍の関与や公的な強制があったのは明らか」にしておくべきだろう。

 当時、市町村長、警察官、教師、その他もろもろの公職にある人達がこぞって「囚われるよりは死を!」という思想指導をやっていた。彼らのうち少なからぬ人達が、戦後になって「心ならずも‥‥」と反省の弁を述べて転向し、ただ軍と軍人にのみ罪をなすりつけてきた。その典型は戦時中に教員・憲兵隊員であった槙枝元日教組委員長だろう。戦前戦中は軍国勢力に阿り、戦後は左翼勢力に阿り、ただ迎合し続けてきた。あるいは、その場その時の「いい子ちゃん」であり続けようとしてきた。

 自民党も、いまやその手の連中がハバを利かせているのか、と思うと暗澹たる気分になる。いよいよ、リベラルを排除した保守新党、あるいは右派新党が必要だよなぁ‥‥

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2007.10.07

「闘将 角田覚治」から集団自決を考える

角田覚治(かくた かくじ)は、昭和19年にテニアン島根拠地の司令官として戦死した海軍中将である。ほぼ同時に玉砕したサイパン島・グアム島では日本人の民間人も多数犠牲になったが、テニアン島では民間人の死者は非常に少なかった。その理由を、評伝から引用する。

 質量ともに圧倒的に優勢な米軍の前に、麾下の航空舞台は四散し、あとは敵が上陸してきたら、陸軍部隊について戦うしかないという状況に追い詰められた昭和19年7月、防備を固めるため、軍に協力して働いていた、婦人、子供をふくむ民間人に挨拶にきた角田は、「ありがとう。皆さん、本当によくやって下さって、ありがとう」と言ったあと、いずれこの島にも敵が上陸してくるのは必至だと語り、最後に 「しかし皆さんは民間人ですから、私たち軍人のように、玉砕しなければならないということはないのですよ」 と言った。  われわれ軍人は最後まで戦って死ぬが、軍人でない者までがむざむざ死ぬ必要はない、降伏して生き延びるべきだ、という意味が言外にこめられており、長官自らが、民間人に向かって、はっきりそう言明したことは、他の玉砕地では例のないことであった。

 「闘将 角田覚治」、中公文庫 「太平洋戦争の提督たち」石渡幸二・著より

 先月29日に沖縄県宜野湾市で開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」を契機に、歴史教科書の集団自決に関する記述に関して国会まで揉める騒ぎになっている。事実は「軍の命令はなかった(=守備隊の隊長は下命しなかった)」でほぼ決着しているのに、「軍の関与は明らか」と争点がすり替わって問題が拡大した理由を考えてみたとき、角田中将の挨拶に思い当たった。太平洋戦争の日本軍の玉砕地において、民間人に「生き延びてください」「死ぬ必要はない」と言明した現地防衛の最高指揮官が、帝国陸海軍を通じてたった一人しかいなかった、という史実はもっと知られてよい、と思う。

 ノンフィクション『或る神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決』を著し、「集団自決は軍の命令によるもの」という定説を、実は証拠のない『或る神話』だと喝破した作家の曽野綾子は、こうも語っている。

 3月下旬のある日、米軍はこの島を砲撃後上陸を開始し、それを恐れた約三百人の村民は軍陣地を目指して逃げましたが、陣地内に立ち入ることを拒否され、その上、当時島の守備隊長だった赤松嘉次隊長(当時25歳)の自決命令を受けて次々と自決したというものでした。自決の方法は、多くの島民が島の防衛隊でしたから、彼らに配られていた手榴弾を車座になった家族の中でピンを抜いた。また壮年の息子が、老いた父や母が敵の手に掛かるよりは、ということで、こん棒、鍬、刀などで、その命を絶った、ということになっております。
 (中略)
 途中経過を省いて簡単に結果をまとめてみますと、これほどの激しい人間性に対する告発の対象となった赤松氏が、集団自決の命令を出した、という証言はついにどこからも得られませんでした。第一には、常に赤松氏の側にあった知念副官(名前から見ても分かる通り沖縄出身者ですが)が、沖縄サイドの告発に対して、明確に否定する証言をしていること。また赤松氏を告発する側にあった村長は、集団自決を口頭で伝えてきたのは当時の駐在巡査だと言明したのですが、その駐在巡査は、私の直接の質問に対して、赤松氏は自決命令など全く出していない、と明確に証言したのです。つまり事件の鍵を握る沖縄関係者二人が二人とも、事件の不正確さを揃って証言したのです。

 第34回司法制度改革審議会議事録
 http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai34/34gijiroku.html

 赤松大尉も、角田中将のように「われわれ軍人は最後まで戦って死ぬが、軍人でない者までがむざむざ死ぬ必要はない、降伏して生き延びるべきだ」と言えなかったのか。そう言っていれば、「あまりにも巨きい罪の巨塊」などと大江健三郎にボロクソに書かれる人生を歩まなくて済んだのに、と赤松氏のために同情する。

 とはいえ、絶対に言える状況ではなく、そういう発想すら禁じられていた、というのも事実であった。そこが旧軍の悪弊、あるいはそれが国民生活にまで染み渡った戦時中の日本社会の悪弊の最たるところなのだ、私はと考える。そこを研究し、現在の自衛隊、およびマスメディアにその過ちを繰り返させない方策を練るのが、現代を生きる我々にとって建設的な行き方だろう。

 いま、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」の論調を支持する勢力は、『とにかく「軍の関与があった」のだから「日本軍は極悪非道の行いをした」という記述を減らすな、むしろ増やせ』の大合唱らしい。やってることは戦争中の翼賛メディアと同じく、一方的な観念、スローガンの徹底である。「事実はどうであるのか」は、もはやどうでもいいらしい。ダメだコリャ。

 ちなみに、「沖縄ノート」でこの集団自決のことを取り上げ、前述のように赤松大尉を非難した大江健三郎であるが、曽野綾子は上の審議会でこうも言っている。

 もとより私には特別な調査機関もありません。私はただ足で歩いて一つ一つ疑念を調べ上げていっただけです。本土では赤松隊員に個別に会いました。当時守備隊も、ひどい食料不足に陥っていたのですから、当然人々の心も荒れていたと思います。グループで会うと口裏を合わせるでしょうが、個別なら逆に当時の赤松氏を非難する発言が出やすいだろうと思ってそのようにしました。渡嘉敷島にも何度も足を運び、島民の人たちに多数会いました。大江氏は全く実地の調査をしていないことは、その時知りました。

だそうな。さすがは大江健三郎、観念サヨクの面目躍如ですな。さらに曽野綾子はこう続ける。

第一資料から発生した風評を固定し、憎悪を増幅させ、自分は平和主義者だが、世間にはこのような罪人がいる、という形で、断罪したのです。

と大江を描写している。これはいわゆる「観念サヨクの平和主義者」の典型的なスタイルを喝破した、まさしく頂門の一針だなぁ、と感服した。それにしても、観念サヨクのやることは、韓非子の「三人言いて虎をなす」である。たとえ虚構であっても、多数が強弁して言い募っていれば、「政治的には正しい」ことになってしまう‥‥ くわばらくわばら

 閑話休題。

 いま必要なことは、もし戦争で敵軍に居住地が占領される事態になったとき、「軍人でない者までがむざむざ死ぬ必要はない、降伏して生き延びるべき」という心構えを説くことだろう。歴史の教科書で渡嘉敷島の集団自決を取り上げて旧軍に対して悪口雑言を述べるより前に、公民の教科書でテニアン島の角田中将の挨拶を取り上げるほうが、よほど現代および次世代の日本人にとって有意義だと思うのだが。

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2007.10.03

「増醸酒」の研究(その3)

 だいぶ間が開いてしまったが、ようやっと第3回。

 前回の結語は「戦後の米不足の時代には、増醸法は酒を増産するために有効な手段だったことが判る。」だった。これは勝手に私淑している篠田次郎先生(吟醸酒研究機構・幻の日本酒を飲む会の主宰者)の著書「吟醸酒の光と影」の以下の文章からも窺える。

 あの時期、米はなかった。酒は配給制で、一人ひと月何合だったのか知らないが、貴重品だった。私は役所から配給された配給切符と空き瓶を持たされ酒屋に買いにやらされた。その量は、飲んべえの親父のひと晩の飲み量であった。
(中略)
 昭和24年の時点で、この策は緊急避難であったと見るか、それとも酒を文化と考え堕落と見るか。私は当時の食糧事情を知る一人として、よくここで食い止めたと評価する。ただ、これを米が余っている今日まで引きずっているのは、みっともないとしか言い様がないのだ。

 昭和24年当時、米はなくてもアルコールはあった。太平洋戦争中、石油やガソリンの輸入が激減したため、その代替用に日本国政府は醗酵法によるアルコール生産設備を各地に造った。サツマイモやヤマイモなどデンプンを大量に含む農作物を糖化し、醗酵させて蒸留してアルコールを造った。多くの日本酒の酒造場も、国策推進のためにアルコール製造業への転換を余儀なくされた。すべては「国策への協力」、すなわち「お国のため」だった。
 
 戦後になって、戦時中に大量にできたアルコール製造設備を有効に活用するため、そこで造られたアルコールを、日本酒やウィスキーやブランデーなどに混和することが推進された。要するに、三増酒は戦争の後始末のための産物だといえる。あるいは、戦時中に国策へ協力したアルコール製造業者に対する、国家賠償の代用だったのかもしれない。

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