「増醸酒」の研究(その3)
だいぶ間が開いてしまったが、ようやっと第3回。
前回の結語は「戦後の米不足の時代には、増醸法は酒を増産するために有効な手段だったことが判る。」だった。これは勝手に私淑している篠田次郎先生(吟醸酒研究機構・幻の日本酒を飲む会の主宰者)の著書「吟醸酒の光と影」の以下の文章からも窺える。
あの時期、米はなかった。酒は配給制で、一人ひと月何合だったのか知らないが、貴重品だった。私は役所から配給された配給切符と空き瓶を持たされ酒屋に買いにやらされた。その量は、飲んべえの親父のひと晩の飲み量であった。
(中略)
昭和24年の時点で、この策は緊急避難であったと見るか、それとも酒を文化と考え堕落と見るか。私は当時の食糧事情を知る一人として、よくここで食い止めたと評価する。ただ、これを米が余っている今日まで引きずっているのは、みっともないとしか言い様がないのだ。
昭和24年当時、米はなくてもアルコールはあった。太平洋戦争中、石油やガソリンの輸入が激減したため、その代替用に日本国政府は醗酵法によるアルコール生産設備を各地に造った。サツマイモやヤマイモなどデンプンを大量に含む農作物を糖化し、醗酵させて蒸留してアルコールを造った。多くの日本酒の酒造場も、国策推進のためにアルコール製造業への転換を余儀なくされた。すべては「国策への協力」、すなわち「お国のため」だった。
戦後になって、戦時中に大量にできたアルコール製造設備を有効に活用するため、そこで造られたアルコールを、日本酒やウィスキーやブランデーなどに混和することが推進された。要するに、三増酒は戦争の後始末のための産物だといえる。あるいは、戦時中に国策へ協力したアルコール製造業者に対する、国家賠償の代用だったのかもしれない。
本館サイト: http://www.dd.iij4u.or.jp/~kshimz/ E-Mail: kshimz@dd.iij4u.or.jp
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コメント
>米はなくてもアルコールはあった。
これは知りませんでした。
歴史はその時代背景に立って事象を眺めなければいけないイイ例ですね。
投稿: haruhico | 2007.10.06 09:02 午前
早く続きを書いて欲しいです。
投稿: | 2008.04.29 11:27 午前
私の解釈・・アルコール製造設備は大手企業で、中小の蔵元はそんなもの買わなくても酒は作れた。が、大手アルコール企業は国税庁の酒類管理をする官僚を天下りさせて、醸造アルコールを中小蔵元に売り込むビジネスモデルを推進したと思う。
投稿: アルアルK | 2010.04.05 07:39 午後
アルアルK さん
戦後の数年間、米は配給制で貴重品でした。大手も中小も思うように酒を作ることはできませんでした。
そういう時代背景を考慮して解釈したほうがいいですよ。
投稿: 目黒の清水 | 2010.04.05 10:03 午後