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2016.08.18

10月26日の空 (その2)

 いったん失った好奇心に火がついたのは、その年の9月の、台風に襲われた日である。勤務先から「電車がなくなるから、さっさと帰れ」と14時すぎに放り出されて、無事、電車が動いている間に最寄駅までたどり着いた。あとは歩いて10分くらいなので、「ちょっくら本屋にでも寄っていくか」と駅ビルの本屋に入ったところ、ある本にふと目がとまった。それは

「朝日新聞縮刷版 東日本大震災 特別紙面集成 2011.3.11~4.12」

だった。そのときに、突然、閃いた。

「岩井氏の記述が本当に正しいかどうか、新聞縮刷版で検証してみよう。」

 朝日新聞は以前、東京朝日新聞と大阪朝日新聞に分かれており、それぞれに主筆がいて紙面もそれぞれ異なっていた。そのため、縮刷版も東京・大阪の両方が出ている。そこで、帰宅後まず、朝日新聞社のサイトにある問合せフォーム(アサヒコム・読者窓口)から、以下のような質問を投げてみた。
 

“岩井勉さんが書かれた書籍「空母零戦隊」に、以下の見出しの記事が、昭和15年10月27日付朝日新聞の1面トップに出ている、とありました。

「海軍戦闘機隊の精鋭 成都で敵機十機を撃墜 要人搭乗の輸送機と護衛機」

これが、大阪朝日新聞なのか東京朝日新聞なのか教えていただけませんか。”
 


 
 1時間も経たぬうちに、返信があった。やるなぁ、朝日新聞。
 

“朝日新聞をご愛読いただきありがとうございます。アサヒコム・読者窓口へいただいたメールですが、朝日新聞社の窓口である東京本社・お客様オフィスから返信いたします。

お問い合わせいただいた記事は、東京本社発行の1940年(昭和15年)10月27日付け朝刊1面と思われます。見出しは『海鷲、成都を急襲 敵10機を撃墜 重慶も46次爆撃/重慶大火災<地図>』となっております。

これからも朝日新聞をよろしくお願いいたします。

朝日新聞社 東京本社 お客様オフィス”


 

 岩井氏の記述と、この返信とでは、見出しが微妙に異なるような気もしたが、まずは東京朝日新聞の縮刷版に当たることにした。最近では、公立図書館の蔵書検索がインターネットで可能になっているので、最寄の図書館から手始めに検索してみた。居住地域の図書館には戦前の縮刷版はなかったが、隣接自治体の図書館が保有していることがわかったので、次の休日に出かけてみた。

 その結果は‥‥
 
 600400
 
記事は、上の画像の通りだった(ちなみに、縮刷版はA4サイズに縮小印刷されたものだった。画像はそれを図書館のコピー機で複写したものを、さらにスキャンしたものである)。

 つまり、朝日新聞 東京本社 お客様オフィスのメールの通りである。画像の赤枠で囲まれた部分が、成都攻撃の記事である。ここに、攻撃に参加した面々の氏名が記述されていた。
 
Names_4
 
該当部分は、上の画像の通りである。画像はやや不鮮明なので、いちおう文字に書き起こしておく。なお、旧字体は新字体に変更してある。
 

“ 指揮者飯田大尉(山口県徳山中学出身)は去る5日にも成都北方の鳳凰山飛行場上空で死闘を演じ12機を撃墜した猛者であり同大尉の指揮下に10機撃滅の偉功を樹てた我が戦闘機隊の荒鷲は山下空曹長、光増、角田、北畑各一空曹、大木、岩井各二空曹、平本三空曹の面々であつた、打続く我が海鷲の猛襲に打ちひしがれた蒋政権の政府機関は挙げて成都に移されると噂されてゐる折柄でもあり、5機の護衛機を従へて成都を目指すこの5機の輸送機には必ず蒋本営の有力者が乗ってゐたに相違なく基地では、きつと大物がこの輸送機と心中してゐるぞと踊り上つて喜んでゐる。 ”


 

 「ありゃま、これでは角田本が正しくて、岩井本が間違いじゃん‥‥」
 
(続く)

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