10月26日の空 (その5)
これまでの記述の通り、昭和15年(西暦1940年)10月26日の、第12航空隊による成都攻撃の参加者リストは、「角田本の記述が正しく、岩井本の記述が間違い」の結論が出た。その結論を補強するため、後日、防衛省防衛研究所にある戦史研究センター史料閲覧室にも行ってみた。
・防衛省防衛研究所 (http://www.nids.go.jp/)
・史料閲覧室 (http://www.nids.go.jp/military_archives/index.html)
恵比寿駅から、途中にラブホテルが2・3軒ある、ちょっと怪しい通りを抜けて、カルピス本社の脇を通って、防衛研究所の正門まで、徒歩で約10分ほど。
正門脇の受付で書類に住所・氏名・行先等を記入して、右手の坂道を登ると戦史研究センターの建物だ。史料閲覧室は、この1階にある。
ここでは、史料番号・史料名を閲覧申請書に記入して係官に渡すと、書庫から出してくれる。目的とする史料があらかじめ確定していれば、ここでの閲覧は簡単だ。あらかじめ、史料閲覧室のWebサイトにある「公開史料目録」から、目指す史料をピックアップしてきたので、その点ではスムーズにいった。
ちなみに、当日の資料閲覧中に、こういった相談が聞こえてきた。
(その1)
来訪者「陸軍将校だった兄の記録を調べたいのですが」
担当者「どういった経歴の方ですか?」
来訪者「○○県の歩兵△△連隊の隊付将校で、出征して××方面で戦死したと‥‥」
担当者「それでしたら、まず閲覧室の奥の開架の書棚にある『戦史叢書』を見てもらって、そこに出てくる参考資料を請求してもらうのがいいですね」
(その2)
来訪者「どうも、探している史料がないようですが」
担当者「ここにある史料は、ホームページに目録がありますから、それを先に見てもらえるといいですね。それから、陸軍関係の資料は、ここの他に、靖國神社の遊就館の奥にある『偕行文庫』にも多数揃っているので、そちらにも行ってみたらいいですよ。あちらは土日も開いてますから。」
さて、当日のお目当ては、「昭和15年7月~10月 12空飛行機隊戦闘行動調書」だ。「10月26日の空 (その4)」で引用した戦史叢書の付表第三(「昭和十五年から昭和十六年八月まで 支那事変 第二次 航空機搭乗員特別詮議査定便覧 から抄」)の、そのまた基となる資料である。
この史料の来歴は、「海軍功績調査部 調整、昭和30年9月1日 厚生省から防衛庁に引継受」とある。もともと、海軍が人事考課のために作成した、航空機搭乗員(操縦手、通信手、照準手、機銃手‥‥)の功績調書なのだ。この史料をめくっていくと、通番(ページ番号に相等)141の頁に、目指す記録が記載されていた。主要な項目を列挙する。
・日付:S15.10.26
・参加:fc0×8(零式艦上戦闘機 × 8機)
・基地:漢口
・任務:第3回 成都攻撃
・交戦機種:E15型戦闘機×5、フリート練習機×4、輸送機×1、全機撃墜
・行動経過:
0815 fc0×8 発進
0915 宜昌着 全機燃料補給
1125 宜昌発
1330-1345 新津北東方上空にてE15型戦闘機×5、フリート練習機×4、輸送機×1 発見、交戦
1400 温江飛行場 偵察
1405 鳳凰飛行場(ママ) 偵察
1605 宜昌着 燃料補給
1710 宜昌発
1810 fc0×8 基地帰着
・搭乗員
指揮官 大尉 飯田房太
1小隊
1番機 大尉 飯田房太
2番機 一空曹 光増
3番機 三空曹 平本
2小隊
1番機 空曹長 山下小四郎
2番機 一空曹 角田
3番機 ニ空曹 岩井
3小隊
1番機 一空曹 北畑
2番機 ニ空曹 大木
‥‥ 搭乗員は、カンペキに角田本と一致していた。
つまり、角田本の記述は海軍の人事考課史料からも裏付けられた。こうして、真相がわかると気になるのが、岩井本の次の記述である。
“ 筑波航空隊へ
休暇が終わった時点で、筑波航空隊へ転勤が発表された。
私はまた、大村から茨城県へ向け急行列車に乗った。途中、東京の上野駅で常磐線を待つ間、上野広小路へと歩いていると、ニュース映画館の前に「成都空襲七勇士」という看板が出ているので立ち止まった。
興味を引かれて入ってみたら、先日の自分たちの成都攻撃を上映していたのには驚いた。飯田大尉の顔、山下空曹長の顔、そして自分の胴上げされているところが出てきた。なんだかくすぐったくて、あんなことぐらいで内地の人々に報道されるのかと思うと、なおさら恥ずかしくなって、周囲の人々が、みんな私の顔を見ているような気がして、そそくさとニュース映画館を出た。 ”(岩井勉「空母零戦隊」文春文庫 p.107)
公式記録の参加機数が8機であるなら、海軍報道部が監修したであろうニュース映画のタイトルも「成都空襲八勇士」のハズだ。これも岩井氏の記憶間違い、あるいは大阪朝日新聞-同盟通信社の影響による誤記なのだろうか? こんどはこちらが気になって仕方がない。こういうときにも、グーグル先生が役に立つ。「ニュース映画 成都空襲 八勇士」ググってみたら、簡単に回答が出てきた。
これも正解は、 「敵機撃墜の八勇士」 なのであった。ここでも、岩井氏は間違っていたというわけだ。このニュース映画は、「NHK戦争証言アーカイブス:日本ニュース第22号」で見ることができる。URLは https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300407_00000&seg_number=005 である。
かくして、岩井本の記述は間違い、角田本が正しい、ということが証明?できた訳である。とりあえず「10月26日の空」は、これにて終了。最後までお読みいただいた方に感謝します。
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