近時、蓮舫氏の二重国籍疑惑が喧しい。そのなかで、雑誌『婦人公論』の2010年4月22日号に掲載された蓮舫氏へのインタビュー記事が発掘され、この問題が発覚してからの蓮舫氏の弁明とはかなり異なる内容であったことが物議を醸している(http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinoharashuji/20160910-00062037/)。
上の篠原さんのブログには、こういう記述があった。
“国籍について書かれている資料はもう1件、雑誌『コスモポリタン』の1995年4月に発行された号にもあるようなのですが、資料を入手することができませんでした。当該の雑誌をお持ちの方は調べてみると良いと思います。 ”
ヤジ馬根性を出して、インターネットでいろいろと調べてみると、いつも散歩している公園の中にある図書館に、当該雑誌のバックナンバーが揃っているという。21時まで開館しているというので、会社の帰りに寄ってみて、そのページのコピーを取得した。おいおいスキャンして画像も公開するつもりだが、 まずは全文を文字に起こしてみた。以下の通りである。
COSMO人生トーク 私たちは「コンプレックス」を起爆剤に飛躍した
「国籍」で悩み続けてきたからこそ、「ニュースキャスター・蓮舫」がある
蓮舫さん(ニュースキャスター・27歳)
◇「人と違う」ことで傷ついた子供時代
小学校から青山学院育ちで、何不自由なく育った明るいお嬢さんという印象がある蓮舫さん。でも彼女は物心ついたときから、「国籍」という問題で悩み続けてきた。
父は台湾人、母は日本人。当時の日本の国籍法により、彼女は父親と同じ台湾国籍に。だが彼女は日本で生まれ、育ち、日本語を話す。“それなのに私は日本人じゃなく、台湾人なんだ”という感情が、いつしか“自分はみんなと同じじゃない”というコンプレックスとなり、重くのしかかった。」
蓮舫さんに「みんなとの違い」を初めて認識させたのは“名前”。現在結婚して村田姓を名のる彼女の、かつての本名は謝 しゃ(姓)蓮舫 れんほう(名)。
「小2のころ、みんな自分の名前が漢字で書けるようになったのに、私だけ書けなかった。“謝”も“蓮”も低学年には難しすぎたし、“舫”は当用漢字じゃない。女の子なのに“子”がつかない。だから自分の名前が嫌いだったんです。そのうえ、まだ指紋押捺もあったし、外出には外国人登録証の携帯が義務。どうして私だけが? っていつも思ってました」
高校生になったころ、蓮舫さんは日本の国籍法の仕組みを知る。同時に感じたのは、さまざまな難題を覚悟の上で国際結婚をした両親のすばらしさだ。彼女は徐々に台湾人である自分を受け入れられるようになった。
「でもね、電話をかけて名のるとき、“謝です”って言ってもなかなかわかってもらえないの。相手は確認のために何度も聞き返すけど、わずか30秒ほどのその時間が、私にはとても苦痛でした。だから国籍のことをプラスに向けようと思っても、日常生活にマイナス要素が多すぎて、どこか消極的になりがちでしたね」
'84年、19歳のときに国籍法改正。母親と同じ日本国籍を取得できるようになる。すでに芸能界入りが決まっていたため、台湾籍よりも日本籍のほうが海外に出やすいこと、外国籍だと納税義務はあっても選挙権もなければ年金ももらえず何の権利もないことなどから、彼女は帰化を決めた。
「国籍は、いつでも簡単に元に戻せるから、帰化に抵抗はなかったですね」
しかし、許可が下りるまでに、彼女はさまざまな問題と直面せざるを得なかった。特に大きかったのが、彼女の名前。「“蓮”の字は苗字になら使える。ただ、名前としては戸籍法に定める人名用漢字ではないからダメ。“舫”も同じ理由で使えない」と言われたのだ。
「ほかの漢字をあてはめるか、平仮名か片仮名にしないって。でも、名前って人間のアイデンティティだったりするでしょ。だから正式に漢字で許可が下りるまで、私の名前はカタカナだったんですよ。結局、私は書類上の記号でしかないんだなって、あの半年あまりは、すごく傷つきましたね。そのうえ、窓口で言われたんです。『この名前で本当にいいんですか。一発で日本人じゃないってわかりますよ』ってね‥‥」
そんなとき、彼女と同じ大学生が起こしたのが <天安門事件>。
「同じ中国の人の痛みもわからない中国人、台湾籍だった私っていったい何だろうって考え込んじゃったんです。そのときからですね、“いつかニュースキャスターになるんだ”と思ったのは」
以来彼女は中国語会話を習い、中国文化を学ぶために中国映画を見ることも、中国関係の本を読むことも欠かしていない。
◇拠りどころを求め中国を学び続ける
蓮舫さんは、このところ仕事で毎週、神戸の震災被災地に出向く。そこで出会う多くの中国人に、彼女はできるかぎりの中国語で声をかける。忘れられないのはある小学生が口にした言葉。彼女が台湾人だと知って、「じつはオレ、韓国人。蓮舫になら本名言える」。国籍のはらむ問題の重さを改めて痛感したと言う。
「結局、私には拠りどころがないの。今は日本国籍だけど、本当は台湾人。かといって、台湾籍に戻しても台湾で生活できる自信はないし、どっちつかずなんです」
だからこそ、彼女はもっと深く台湾を、中国を学ぼうとしている。
「コンプレックスがあることで、何か努力できるのなら、あったほうが人間強いってことですよね」
いつかは“アジア問題なら蓮舫”と言われたいという。台湾人であることときちんと向かい合って生きているから、その日は案外、近いかもしれない。
(COSMOPOLITAN 日本版(集英社)1995年4月号 P.19)

‥‥ どうだろうか。やはり、このところの発言とはだいぶニュアンスが異なるように感じるのだが。
これに関して思い出すのが、現代史家の伊藤隆先生の次の文章である。
“オーラルヒストリーの場合,第一に,対象者の話はしばしば不正確である。年代の間違い,一つの事柄と似た他の事柄との混同などは避け得ない。記憶の不正確さは,自らを省みれば当然の事だが,極めて特殊な人を除けば記憶は一般的に曖昧なものであり,さらにその記憶のもとになった同一時点での共通な経験・見聞でも人によって極端に異なっていることはしばしば験するところである。これらは他の諸史料をつき合わせて充分に検討しなければならない。
だが,第二に,それよりももっと重要なのは,人間は絶えず新しい状況の下で自己の過去というものを再整理して,それによって自己の再確認をしながら生きているということである。従って思い出された過去はしばしばその人にとっての今日的価値に強く影響されて,変形し,解釈をし直され,不都合な部分は記憶から排除されている可能性がある。特に戦前から敗戦を経て,大きく「世の中の」価値観が変化を余儀なくされた場合などにそれは強く見られる現象である。こうした人間的要素を充分に考慮して活用する必要がある。”
伊藤 隆「歴史研究とオーラルヒストリー」(http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/585/585-01.pdf) より抜粋
ポイントはここだ。
『人間は絶えず新しい状況の下で自己の過去というものを再整理して,それによって自己の再確認をしながら生きているということである。従って思い出された過去はしばしばその人にとっての今日的価値に強く影響されて,変形し,解釈をし直され,不都合な部分は記憶から排除されている可能性がある。』
目下の蓮舫氏にも、当てはまるのだろうな。
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