R4: 2000年11月 外交フォーラム 「父の写真」
コスモポリタンの記事と同時に、こんなエッセイもコピーしてきた。自らの「根無し草」っぷりを自嘲気味に書いている。これも最近の彼女の弁明とは毛色が異なるように感じる。
そしてもっと気になるのは、彼女の父親が北京を訪問したタイミングだ。
1991年11月。
1989年の天安門事件から2年後だが、1992年2月鄧小平氏が「南巡講和」を行って世界各国から経済制裁を解除されるよりも前だ。タイミング的には、日中間で経済交流の回復を模索して水面下でイロイロな動きがあった時期に相当する。そんな時に、台湾の華僑が北京の天安門広場に立っている‥‥
ちょっと想像をたくましくしてしまうなぁ。
巻頭随筆 「父の写真」蓮舫(ジャーナリスト)
天安門広場に掲げられた毛沢東の肖像画を背景に、柔らかな日差しに眼を細め、穏やかに微笑む父親がいる。
五年前、父が他界してから私の机の上に飾られている写真である。
写真の日付は1991年11月。その日からずいぶん長いこと私は、台湾人の父が中国大陸の土を踏む意味を考えることがなかった。
台湾籍の私は、日本語を母国語に、日本人の友だちに囲まれ、日本人のように育ってきた。唯一、他の日本人と違うのは「謝蓮舫」という名前である。自己紹介をする度に
「中国人?」
「日本語、うまいね」
「横浜出身でしょ」
判で押したような反応が返ってきたものだった。適当に「はぁ」と相づちを打てば相手は納得する。この国に暮らす人は、他者が何人であろうと、それ以上の興味を示すことはない。ならば、と私も自分のことを深く意識することを怠けてきた。
そんな私が台湾人と中国人の間で、事の大きさを認識することになったのは、今年3月に行われた台湾総統選挙である。大陸を取材すると、社会科学院の人は「(台湾が独立すれば)台湾海峡は火の海ですよ」 台湾海峡での有事を平然と言ってのける。一般の人々は「奪っちゃえばいい」と口々に戦争を支持する。
一方、自らが選んだ台湾人総統の誕生に酔う台湾人は「大陸なんか怖くない」「われわれには民主化をした自信がある」と口にする。
「同じ民族なのになぜ」との問いに対して、その違いは明確である。
大陸の人は「失地回復。だからこそ統一」と言う。台湾の人は「歴史的背景も思考も違う。われわれは中国人ではなく台湾人」と言う。まるで水と油のような関係である。
そして彼らは私に問いかけた。
「あなたはどっちの立場なの?」
すでに帰化した私は完全な台湾人ではない。二年間北京に留学したからといって、大陸のことを100パーセント理解しているわけでもない。どっちつかずの私が足を置くのは、日本なのだろうか。1972年以降、台湾軽視、中国重視政策をとるものの、アメリカ次第でそのカードがぶれる日本の中途半端な姿勢は、長いこと自身のアイデンティティをおざなりにしてきた私の姿勢にだぶってならない。
父の写真の意味を感じ取るには遅すぎたのかもしれない。だからこそ、今、私は改めて自分の立脚点を探している。
(外交フォーラム 2000年11月号 P.9)
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